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自然と共存する。ということ

「自然と共存するために優しさは必要か?」

私たちが普段イメージする「優しさ」や「思いやり」といった概念は
自然界の生き物たちの生き方を、人間の感情として形容したものにすぎない。

そんな「優しさ」という倫理が誕生する前から、自然は自らの摂理を営んでいる。
そしてまた人間もその摂理を遺伝子の中に組み込み、自然界に迎え入れられてきた。

自然との共存のカギは本当に、そんな人間本位の「優しさ」なのだろうか?
むしろ自然から「優しさ」を発見し、形容を試みた時のような「想像力」ではないだろうか?

自然によって心が突き動かされること、そしてその想像力を育むこと。

想像力という人間本来の豊かさは、自然の豊かさであるということ。


それがGANON FLORISTの考える「自然との共存」です。
 

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自然と人間

実際、この言葉には矛盾が生じているが、私たち人間は普段この区別に違和感を持たない生き物である。

さて、自然の中で生きる植物は私たち人間をどう思っているだろう?
植物は「生きる」ことにすべての細胞を活動させ、人間のことを考える暇など一瞬たりともないであろう。
それは植物の構造の合理性からみても、明らかに生命維持の効率を重視して進化していることから疑う余地はない。

ある人間は植物が偉いという。「ヒグマが生きていくために、どんぐりがある」と思っている。
だが植物から言わせると、必死に自らの命を全うした結果が、ほかの生物にとって好都合になっただけなのだ。
自然界とはその好都合の連鎖で出来ている。生きていくことが他者を生かしているということになってるのだ。
その連鎖の中では、人間も自然も宇宙も区別は無いのである。

大げさに思えるかもしれないが、実際に水は揺れ、光は反射している。

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